昔の自分を、苦しむ学生に。
こんにちは。
前の投稿の続きです。
夏休みにあった出来事を綴っていこうと思います。
2年の3学期頃から親に相談していたところ3年の夏休みに教育委員会のお偉いさんと話す機会を作っていただきました。
そこで私はすべてを打ち明けました、暴言、暴行、陰湿な嫌がらせ、あったこと全部打ち明けました。
そこでの会話は今でも忘れられません。
結果的に何もなかったように言いくるめられました。中学生だった私には反論なんてできるほどの知識もありませんでしたしね。
まず暴力について、これは愛なんじゃないかと言われました。
少し他人より秀でた才能があったようで期待されてる、期待が大きくなりすぎた結果の暴行と言われました。
暴言もそんな感じで、熱くなりすぎた結果の発言なんじゃないか、気にしすぎだなんだでちゃんと向き合ってくれることも無くお話は終わりました。
教育委員会って事を大事にしたくないからここでどうにか言いくるめるようにしてるんですよね。
もしこのような境遇にあっている方が居れば教育委員会と1対1で対談するのではなく新聞記者の方も連れて話をするのが1番です。
この時の私はそんな知識がなかったためこんな人生になってしまいました。
今は暴行など大きく記事に取り上げられるようになっています。
どうか諦めずに一歩、踏み出してみてください。決して教育委員会を信じてはいけません、他の権力を駆使して教育委員会を使うように動くのが大切です。
余談ですがその相談した教育委員会の方が今では市長になっているのはなかなか笑えます。
昔の自分を、苦しむ学生に。
こんにちは。
前の続きです、なぜ受験前に不登校になったのかを書いていこうと思います。
長期休暇後の自殺の原因にもなっていると思います。
数週間ではあるものの、いじめられる存在との接点を無くせる安心感が尋常じゃないくらいありました。
平穏な日常も休みが明ければ終わる。中学生だった私はそんな恐怖心
3年生になって休みがちであった私はそこで登校を拒否しました。
逃げる選択肢を選んだ私ですが、私の頭の中では3つ選択肢がありました。(ほとんど2つ)
- 最後まで登校しいじめに耐える。
- 登校拒否
- 命を捨てる
この選択肢です。ほとんど2つというのは2,3番しか考えれなかったです。
なぜ3番まで思い立ったのに行動を2番までに抑えれたかというと教師(いじめてくる相手ではない)とお話ができたことが大きいと思います。
教師がみんな悪というのでは決してなかったです。学年主任の方とお話や毎日家に来ていただいたりとても迷惑をかけながらどうにか不登校という選択肢で留まれました。
人間やはり会話をするのが1番楽になれるんだと思います。
短期間だったため改善はできなかったもののすごく気持ちが楽になりました。
思い込んでいる方が居たら 祖父母、親、私のように頼れる教師。誰でもいいんです話してみると少しは楽になると思います。
次は夏休みにあった話を書き綴っていこうと思います。
昔の自分を、苦しむ学生に。
こんにちは。
今回は、私がいじめられるようになった経緯を大まかですが綴らせていただきます。
私は、中学時代は中学の軟式野球部に所属していました。
3年生がいるなかで2年でレギュラーを勝ち取っていたのですが世代交代後 顧問の1つの浅い知識の教えに反抗したため暴力を受けるようになり、レギュラーから補欠に転落しました。
顧問からは練習が終わった後に呼び出され、グラウンドには自分と顧問1人の状況になりました。
そこで私は倒れこむほどのみぞおち、顔が赤くなるほどのビンタ たくさんの暴行を受けました。
その顧問は何もなかったかのように過ごしているのを見て怖くなりました。
まともに試合できたのは3年の引退試合。引退後も暴力はなくなったものの暴言に苦しみました。
3年になって少し休みがちになっていたのが急に心がポキっと折れた感じで一切行くことがなくなりました。
次の投稿でなぜ受験前に不登校になったのか、当時の自分ではありませんが今の自分が思うことについて綴っていこうと思います。